思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

無性に本を読みたいときがある。特定の原因なんてない。面白そうな書籍を知ったとか、本屋に行ったとか、ごく一般的な理由でただ本が読みたい。

 

今がそうだ。今の理由は「自分がつまらないから」

自分には人に話せるようなエピソードが特にない。平穏で幸せな人生を歩んでいる証拠だと思う。ただそれが虚しい。

なんでもいいから本を読んで、自分をとにかく武装したい。物語でも知識でも図鑑でもなんでもいい。何かに触れたい。

 

会話について難しく考えすぎだと言われた。

わたしは自己完結できるような事項は人に話すに値しないと考えてしまうけど、そんなこと誰も気にしない。らしい。

もちろん愚痴は人に話したいが、一度でも誰かに話せればそれで消化されてしまうので、その一本で食いつなぐことができない。それに違うコミュニティの人間に別のコミュニティの話をするのは、背景から話す必要があってめんどくさい。

でも、例えば「この猫かわいいよ」「ほんとだ、かわいー」の会話に意味が見出だせない。別に共有しなくても自分が可愛いと思えばそれで良いじゃないかと思ってしまう。そうなるといよいよ話すことがない。

 

自分の首を自分で絞めている自覚はある。自分が人にどんな話を振られても何も思わないように、他人だって別に会話に意味なぞ求めてないことも理解してるつもりだ。

それでもわたしには出来ないのだ。というより、会話をする練習が必要なのにそもそもの発想がないからリハビリにならない。

 

自分が人に話したくなるような経験を持ち合わせていないから、外部から取り入れたい。

それが今無性に本を読みたい動機になっている。

誰かの物語を、何かの知識を、とにかく取り入れていけばいつかなんらかの助けにはなるのかなと、そういう結論に至った。

それにしても我ながら殻に閉じこもるような解決案だなと思う。これが間違った選択であるようにしか思えない。

それでもなぜか、本を読めばなにか変わるという確信を持っている。手っ取り早く行動してとにかく救われたいのだと思う。

頭が悪いのって悲しいなと思う。

 

質問箱に「あなたと仲良くなるコツを教えてください」といった感じのものが投稿された。

コツかーっとしばらく考えてみたけど、特に何も浮かばなかったのでせめてと思い好きなタイプを回答しておいた。

 

友達は決して多くない。普段よく遊ぶ人から年に1回会えればいい方って人まで、全部合わせても両手で数えて余る程度だ。

もちろん、わたしが「友達」だと思う人以外にも、別に二人でいても苦じゃない人とか、「最近元気にしてるかしら?」と声をかける人、プライベートでごはんを食べに行くこともある人などもいるけれど、彼らはわたしの中の「友達」には分類されない。仕事仲間とか、先輩後輩とか、気が合う人とか、なんかそんな感じ。

 

わたしの友達、もしくは友達になりたいと思う人たちの共通点ってなんだろうな。そりゃ、気が合うとか一緒にいて楽っていうのは絶対条件なんだけど、じゃあなんで気が合うと思うのかな、とかなんでこの人といると楽なんだろうなって、実は突き詰めて考えたことない気がする。いつもフィーリングだと思ってたし、実際細かいところを挙げていくと当てはまらない人だって出てくるんだから結論フィーリングに落ち着くんだと思うけど、とりあえずちょっと考えてみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちまちま編集してたらこれ書き始めてから丸一日経ってしまってなんかめんどくなっちゃった。ていうか、昨日編集できなかった間に色々考えて「あ~あれもこれも」とか思ったけど全部忘れてしまった。(ざっくりした内容はもちろん覚えてるけど、言い回しとか)

確か、

さっぱりしてる・自分の好きなことがちゃんとある・はっきりしてる・ある程度諦念を抱えてる・闇も孕んでる・頭がいい・話し上手・一人行動苦じゃない・他人(わたし含む)のことはあんまり気にしない、どうでもいい

とかなんとかこの辺だったかな。書き始め当初は一個一個掘り下げていこうとか思ってたけどもういいや。

あと間違いなく、こんなことを真剣に考えてても、かつ「なんかどうでもよくなっちゃった~」とか言ってもバカにしたり嫌な顔をする人はいないかな。笑い飛ばすか一緒になって考えてくれる人が多いかも。

結構愚痴吐きまくってる人とか機嫌悪いところも見せてる人もいるけど、それでも付き合ってくれるので感謝感謝です。

 

世界が終わる夢を見ました。

 

世界が霧がかって、歌が聴こえてきたら終わりが始まります。どこからともなく腐敗した臭いが漂って、わたしたちは徐々に意識を失います。

世界の最後は体温を失い、氷河期のようになると聞いていました。そこである噂が立ちます。

「終わりが始まったら、ある特殊な、圧縮袋のような被り物をすると、クリアな酸素を維持したまま眠るように穏やかに気を失い、体はそのまま冷凍保存の状態となって100年後に目を覚ます」といった内容でした。

世界が体温を取り戻すなんて、どこにも確証はありません。だけどわたしたちはそう信じていました。

いよいよ世界が終わる時分、わたしは知らない人たちの中で一人ぼっちで被り物をします。一度被ると外の様子は薄ぼんやりとしか窺うことができず、また音もなんとなくとしか聞こえません。

単純に早くその時を迎えたのか、それとも被り物のおかげか、わかりませんがわたしの意識は徐々に薄れます。その中で、わたしは気付きます。「なんだ、やっぱり死ぬんじゃん」

クリアな酸素を維持なんて嘘でした。とても苦しいけど、体温が下がり始めた体は重く、抵抗する元気もありません。徐々に思考が鈍くなりながら、わたしは「100年後には彼氏とどこかで元気に再会できるんだろうか」と静かに思います。

 

や~静かだけど不気味な夢だったな~あのまま完落ちするとこまで見てたら本当に死んでたんじゃねえかって思うわ。

冒頭の世界の終わりについての部分、目覚めてから思ったけどビルダーズの2個目の島の最初みたい。まさにあんなほの暗くて寂寥な雰囲気だったし、みんなが一心に未来を信じてるのもなんかあの農業諦めてない人みたいな感じ?ビルダーズちょろっとやったの正月頃なのななんで今さらこんな夢見るかな。

あと最後にうっすら彼氏のこと考えるってのは、完全に昨日の夜テンション上がって寝てる彼氏に一時間起きに電話かけたからだと思うんだよね。出なかったけど。

こんなに不気味で意味ありげな夢なのに冷静に考えたら普通に現実の影響受けてるのが笑えちゃうな。

 

ちなみに夢の中ではわたしの視点は第三者です。いつも自分で自分を見下ろしている、というかなんかドラマとか漫画みたいな視点なんです。そんなんだから夢の主人公がいつも自分の姿してるとは限らないんだよね、人間ではあるんだけど。

普段夢日記とかしないけど、不気味ながらに美しくて印象的な夢だったし、丁度アウトプット強めたいと思ってるときだったから文字起こししてみました。ブログ、誰に見せてるわけでもないけど。

金銭的余裕がないのはまじで病む。

 

学生の頃、わたしはかなりフットワークも軽かったしいろんな世界へ飛び込む足取りも軽やかだった。

フリーターばりにバイトをしていたので、金銭の余裕は同世代と比較すれば十分すぎるほどにあったし、バイトが忙しいだけで時間は裁量次第ではいくらでもあった。世間知らずゆえの無謀さ・生意気さ・活力もあったし、人倍以上に好奇心も強かったので、海外旅行こそしていないがそれなりに世界はみたと思う。

年数にして一年。たったそれだけしか経っていないのにもう随分昔のことみたい。

 

今のわたしは幸いにもお金も時間もそれなりにある社会人になった。決して給料は高くないが、実家暮らしと彼氏の存在があってあまり無謀なお金の使い方はしなくなったと思う。

というか、来月から同棲を始めるので、お金を使うことに関してかなり気が引けている。

時間はあるが金がない状態になった。

わたしは友人が多くない。しかも生活リズムが違う友人と遠方に住んでる友人ばかりなので都合の良いときに都合の良いように遊べる友人は0に等しい。(彼氏も遠方なのでノーカウント)

ならばどうするか。ひたすら一人で戦うしかない。

 

金も友人もなく、時間だけがある場合、わたしを襲うのは虚無と孤独だ。

対応できる武器は少ない。何をするにも金はかかるし、1番怖いのは「自分だけ充実していない」という錯覚。

たぶんそんなことないんだよね、結婚決めてる彼氏がいるし仕事もホワイトだし、家族仲も良好。一応一人で時間を潰す術は知ってるし。端からみれば充実も充実ってところか?

うるせえわ

とにかく孤独なんだよね、何をしてても虚無

来月から彼氏くるけど、少しの家財と原付をもって知らない土地にくる彼にとってはわたししかいないし、金いらないからって呼んだのはわたしだし、自分がしっかりしなきゃならないのはわかってるつもりなんだけど、このままじゃ共依存みたいになっていきそうで怖い。彼に限ってそんなことはないと思うけど

ていうか自分の悪い癖で、自分がしっかりしなきゃ!みたいなの思っちゃうんだよね。実際わたしがしっかりしようがしなかろうが周りはわたしがどうでも問題なく進むんだけど。

めんどくさくなっちゃった。終わり

雪柳が咲くと、春だなって思う。

 

取り立てて思い出があるわけでもない。ただ、桜よりも早く咲いて、道端でも目を惹くから、それだけ。

わたしはああいう小さくて群集でふわふわ咲いてる花よりも、花びら一枚ずつがしっかりしていて一輪でも映えるような花が好きだ。誰にスポットを当てられなくても、いつでも一人でに凛と輝いてるのが好き。

それは自分がこうありたいって思う姿かもしれない。わたしはいつだって大勢の中にいるのが嫌だった。というより、上手く馴染めなかった。馴染めないのと、馴染まないの、どっちが先だったかなんてもう覚えてない。わたしは馴染めなかったし、馴染みたくなかった。

 

春に関しても特に思い入れはない。目立った思い出もない。入学やら卒業やらに関しての意識はかなり薄い方だったと思う。

みんなで写真を撮るのはある程度楽しかったけど、そんな写真もたぶんほとんど残ってない。卒業アルバムを見返したいとも思わない。大学の卒業式はついぞ行かなかったし、もちろん袴だって用意しなかった。

中学、高校は集団を強いられたけど、大学は完全に個だったから、親はそれなりに残念そうにしてたけど、袴を用意するのにだってお金がかかるし、惨めな思いをするくらいなら行かない方がましだと思った。

実際、行かなかったことは後悔してない。今でもあれで大正解だったって思う。

ただ、雪柳みたいな人たちを見下してたわたしが得たものは別になかった。結局わたしは、彼らが当たり前に楽しむイベントを楽しめるようにはプログラムされていなくて、どこまでも欠陥品なんだと思い知るだけだった。卒業式に参加しなかったってことが小さなコンプレックスになってるのも嘘じゃない。参加しなかった、というより参加をしたところで輝けなかった自分、誰と分かち合うでもなく形式だけ整えて空っぽになりにいく自分がありありと浮かぶのが情けない。

わたしは口先だけで憧れた一輪の花にはなれなかったし、きっと今後もなることはない。誰に残ることもないんだろうって思うのが悲しい。

成し遂げられない自分、我武者羅に生きられない自分、何者にもなれなかった自分、だからって消えるわけでもないわたし

これを抱えてあと何年生きるんだ。家庭を持ったらましになるのか?こんな自分の遺伝子なら残さない方がマシじゃないかと最近よく思う。

 

好きな花はガーベラなんだけど、調べてみたらアフリカ原産で日本にあるのは品種改良されてるものが多いみたい。そりゃそうだよな、あれが野生のままには考えられないもん。アフリカのガーベラはもっと花びらが少なくて彼岸花に近いっぽい?ちゃんと調べてないけど。

彼岸花も好きだけど、ガーベラなら一般に売られてるようなガーベラの方が好き。花屋にある花なんて、売り物だから丁寧に手入れされて大体が鮮やかに咲き誇るに決まってるんだけど。

一方雪柳は野生で放っておいてもちゃんと成長するみたい。

個で輝けないならせめて甘えないで自分でちゃんとしたいって思うんだけどな。

あとガーベラは花屋に行かなきゃ意識しないけど雪柳は何気なく歩いてても必ず目に留まるんだよね。皮肉なもんだわ。

独り言呟いたら思ったよりか細い声が出て萎えた。

最近のストレス発散と言えばもっぱら寝て忘れてしまうことで、そろそろ脳が慣れてきたおかげで寝なくてもストレスに感じた出来事を忘れられるようなってきた。

忘れたって言ったって、見ないふりをしてるだけなのでなんの解決にもなってないんだけどね。

最近自分的に辛いことが続いたので、楽しかったことも思い出せなくなってるのがすごくやだな。大体こういうときってすぐに楽しいことが起きて嘘みたいに幸せになるんだけど。バカだなー

 

言葉にしたら決壊しそうで、今この誰も読まないここですら言うのが躊躇われる。こうやってなかったことにしてペラペラの人間になっていくんだなー

向き合う勇気持てたら何かが好転するのか?変われるのか?知らんがまだそんな勇気は持てない

時間割いてもらうのも自分がそのための時間作るのもアホらしいし、もともと本気で落ち込んでるところ見せられる人もめちゃくちゃ少ないのに最近さらにいなくなった気がする。もしかして0じゃねえか?

 

とりあえず最近蓋をして蓋をして重りも置きまくって蓋をした容器が限界っぽくて今なんかの涙が出てくるけど、なんの涙かもわからん。

これちゃんと突き詰めていったらいよいよ壊れる気がするのでシャワー浴びてとっとと眠りたい