思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

雪柳が咲くと、春だなって思う。

 

取り立てて思い出があるわけでもない。ただ、桜よりも早く咲いて、道端でも目を惹くから、それだけ。

わたしはああいう小さくて群集でふわふわ咲いてる花よりも、花びら一枚ずつがしっかりしていて一輪でも映えるような花が好きだ。誰にスポットを当てられなくても、いつでも一人でに凛と輝いてるのが好き。

それは自分がこうありたいって思う姿かもしれない。わたしはいつだって大勢の中にいるのが嫌だった。というより、上手く馴染めなかった。馴染めないのと、馴染まないの、どっちが先だったかなんてもう覚えてない。わたしは馴染めなかったし、馴染みたくなかった。

 

春に関しても特に思い入れはない。目立った思い出もない。入学やら卒業やらに関しての意識はかなり薄い方だったと思う。

みんなで写真を撮るのはある程度楽しかったけど、そんな写真もたぶんほとんど残ってない。卒業アルバムを見返したいとも思わない。大学の卒業式はついぞ行かなかったし、もちろん袴だって用意しなかった。

中学、高校は集団を強いられたけど、大学は完全に個だったから、親はそれなりに残念そうにしてたけど、袴を用意するのにだってお金がかかるし、惨めな思いをするくらいなら行かない方がましだと思った。

実際、行かなかったことは後悔してない。今でもあれで大正解だったって思う。

ただ、雪柳みたいな人たちを見下してたわたしが得たものは別になかった。結局わたしは、彼らが当たり前に楽しむイベントを楽しめるようにはプログラムされていなくて、どこまでも欠陥品なんだと思い知るだけだった。卒業式に参加しなかったってことが小さなコンプレックスになってるのも嘘じゃない。参加しなかった、というより参加をしたところで輝けなかった自分、誰と分かち合うでもなく形式だけ整えて空っぽになりにいく自分がありありと浮かぶのが情けない。

わたしは口先だけで憧れた一輪の花にはなれなかったし、きっと今後もなることはない。誰に残ることもないんだろうって思うのが悲しい。

成し遂げられない自分、我武者羅に生きられない自分、何者にもなれなかった自分、だからって消えるわけでもないわたし

これを抱えてあと何年生きるんだ。家庭を持ったらましになるのか?こんな自分の遺伝子なら残さない方がマシじゃないかと最近よく思う。

 

好きな花はガーベラなんだけど、調べてみたらアフリカ原産で日本にあるのは品種改良されてるものが多いみたい。そりゃそうだよな、あれが野生のままには考えられないもん。アフリカのガーベラはもっと花びらが少なくて彼岸花に近いっぽい?ちゃんと調べてないけど。

彼岸花も好きだけど、ガーベラなら一般に売られてるようなガーベラの方が好き。花屋にある花なんて、売り物だから丁寧に手入れされて大体が鮮やかに咲き誇るに決まってるんだけど。

一方雪柳は野生で放っておいてもちゃんと成長するみたい。

個で輝けないならせめて甘えないで自分でちゃんとしたいって思うんだけどな。

あとガーベラは花屋に行かなきゃ意識しないけど雪柳は何気なく歩いてても必ず目に留まるんだよね。皮肉なもんだわ。