思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

 先日一年ぶりに誕生の日を迎えた。毎年これといった目標や理想,生きる意味などは見当たらないまま,なんとなくその日を迎えてそのまま終わってしまう。いつだったか誕生日を意識するのをやめた,と見えるように努めはじめた。

 去年も今年もアルバイトをした。終日働いてただの一日として過ごした。何でもない日であるように努めていたので,誰かからめちゃくちゃに祝われたわけではない。それが寂しいのはわがままであり,相変わらず誰かを試すような卑しい人間であることを自覚しただけだった。子供じみているようだが,私は日が変わった瞬間に祝われたいのだと思う。この日くらい「生まれてきてくれてありがとう」と嘘でもいいから心から感謝されたい。そうでなくちゃ,私は私の意義がわからない。

 私は私がめちゃくちゃ嫌いで,誰かに必要とされなければ自分に価値が見出せない。

 いつだったか,自分の原動力が承認欲求であることに気が付いたときは自分に失望したものだった。あんなにも嫌悪していたのに,私を私たらしめるものはこいつかと吐き気すらした。いつか「それでもいいじゃない」と思えるようになるのだろうか。そうすれば私は私嫌いとサヨナラできるのだろうか。

 真面目に生きるつもりもないのに,死ぬ機会のないままここまで生きてしまった。死ぬならきっと若い方が美しいんだろうなとうっすら感じてはいたが,改めてもう感傷で死ぬには遅すぎる。別に死にたいわけではないのだ。沈めばもがくし,絞まれば苦しい。切れれば痛いし落ちれば怖い。食わねば飢えて,飲まねば乾く。でもこれは生きる理であって,生きる意志ではない。死にたいわけではないけれど,生きたいわけでもなくて,難しいんだけど,ね。

 そうやって,「私は私の意思で生きてるわけではないんですよ~」を貫きたいのに,自分への執着と意志を強く感じるのが怒っている時と誕生日だから困る。怒っている時はいくらでも落ちどころがあるのでまだマシなのだが,誕生日はもう四六時中,否が応でも意識せざるを得ないから苦しい。何でもない風に見せかけて終日全身がだるい。来年の誕生日もまたこうやって葛藤せねばならないのかと思うと今からもう気分が悪い。生まれた日のことなぞ忘れてしまいたい。

 

 

 でも,悪いことばかりでないのも重々承知しています。特に話をしたわけでもなかったのに,サプライズで祝ってくれた友人もいました。遅い時間にも関わらず今から行くぞと誘ってくれた方もいます。手作りのケーキをくれた人もいました。みなさんありがとうございました。すごく嬉しかったです。自分が恵まれているのはすごくよく理解しています。あなたたちを大切にしたい。平生から死にたい死にたいと言ってはいますが,きっと図太く死なないので明日もよろしくお願いします。終わり

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