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思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

 久しぶりにブログを更新しようと思った動機なぞ,良いものであるはずがない。

 この年になってくるとあらゆる事柄の大体のパターンは見えてくる。数あるパターンのうちで最も嫌いなものの1つは「集まってだらだらと過ごす」ことだ。

 もともとなんの実りもない会話をするのは得意ではない。例えばそこに時給が発生すればどれだけ興味のない話でもふんふんと頷いて聞いているし,終着点がなくたって愚痴を聞いてほしいという目的がみえるならばいくらでも付き合う。しかしただ集まってやれどのドラマが面白いだのどの芸能人が好きだの,ひどいときには会話は存在せずにただだらだらとお互いがお互いの時間を過ごしている。私にとってこの時間は激しく無駄であり無意味なものである。例えばこれがどの小説が面白いとかどんな場所が素敵だったという話題ならまだ興味を持って聞くことが出来る。また,気の置けない仲でお互いの時間を心地よく過ごしつつもなんとなく相手への気遣いが感じられるような空間であるならば集まってだらだらするのも悪くない。要するに自分の興味関心があるのか,自分が相手に対して心を開いているかというポイントに帰結するわけなのだが,自分の興味関心や心を開いている相手なんぞというものはごく限られた極めて狭い範囲にしか存在しないので,実質誰が相手でも集まってだらだらするくらいなら個々がそれぞれ別の空間で一人の時間を過ごせばいいじゃないというように感じてしまう。特に話したいこともしたいことも行きたいところもあるわけでないのなら,集まるだけ時間と労力の無駄なのではと感じてしまう。こんなことを思ってしまう時点でかなり人間として何かが欠落しているには違いない。

 

 飲食店というのは他人を垣間見るにはもってこいの環境であると思う。特に従業員である場合はお客を見守ることが仕事となるため,仕事をしながら他人を知ることが出来る。

 世の中の人は飲食店に集まって遅くまで何をそんなに熱心に話し込むのか。いつも注意をして耳を傾けるのだが,その内容は驚くほど私の頭の中には入ってこない。きっと私なら人に話すまでもなく自分の部屋に一人で持ち帰るような事案であるのだろう。人がどのように人間関係を築くのかがわからない。何を話しているのか,それを話すと何が変わるのか,それって話す必要あるのか,それらがわからなくて人とのうまい距離感がいつまでも掴めない私は,こんなんだからいつまでも心地よい人間関係を自分の力で築くのがへたくそな人間であるのだと思う。私が身を置く人間関係は全て相手の包容力ありきであり,感謝をしつつも自分の無能さを嘆かずにはいられない。