思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

 漠然とした不安に苛まれている。この先には何もないのではないかと感じてしまう。皆が各々の道をずんずんと進んでいく中で,わたしだけが取り残されてしまうのではないかと思う。

 

 私は今就職活動の最中にある。インターンシップやES対策,面接やGD練習など何一つしてこなかった私であるが,先刻重たい腰をあげやっと1つの文章を提出してまいった。文章を書くのは嫌いではないが,字数やテーマに制限がつくとなると話は別だ。限られた中でどれだけうまく状況説明をし,核となる部分を主張することができるか。就職活動に生まれる第一の不安はここにあるのだろう。まとめてもまとめても,これじゃ私の強みが伝わらないのではないかというような錯覚に陥ってしまう。もし私が面接に辿り着くことなく御社との縁が切れてしまったら確実に思うだろう,「私の書き方が悪かったんだ,,」と。

 実際にそうなのだと思う。どれだけいい題材でどれだけ私の中に色濃く残っているエピソードであったとしても,それがそのように人に伝わらなかったのだ。これは私の文章能力というほとんど基礎学力といえる部分が認められなかったのと同義である。そこに自覚を持てるならまだマシであると信じたい。なぜなら中には文章を認められなかったことよりも,「自身を裏付けるエピソードの否定」を感じる人も存在するであろうことが推測されるからである。まだまだ就職活動のスタート地点ともいえるES提出の段階で自身を否定される絶望感は凄まじいものであるだろう。また,否定されたことがわかっていても「何を否定されたのか」がわからない恐怖。はっきり言って地獄である。

 接客業をしていて思うのは,やつらはただの人間であるということだ。私たちは客と店員であり,きゃつらは我々の提供するサービスや空間を買っている。世の中には金を払っているのだからサービスを受けて当然だという輩もいるだろうが,私の認識としては「家でもできることをお金を払って人に提供してもらっている」というものだ。対価を払うきゃつらの中には店員に対して多少の優越を感じているものもあるだろうが,私の心持としてはそんな感じなので立場はほぼ対等である。しかし立場が学生と人事である内は彼らの存在は絶対である。彼らの姿は私の結末を地獄にも極楽にもできる閻魔のようにうつり,我々は蛇を前にした蛙に成り代わるのだ。ガチガチに固まった脳みそで彼らの求める唯一無二の正解を探り,媚びへつらった猫なで声で擦り寄ってしまう。

 面接ならまだ彼らの人柄も多少は読み取れるだろう。全身から放たれる些細な空気を感じ取ることで,「今のは失敗だった」「あれは好感触だった」などとはかることができる。しかしまだ直接会っていない段階で,しかも相手のことをほとんど何一つ知らない状態で,私の情報だけを一方的に開示し忖度されるというのは心地いいはずがない。増してそこで縁を切られるとなれば尚更である。SPIなどという制度も多少は良心的であろう。数字というのは可視的な指標であり,努力がそのままに反映される非常にわかりやすい評価だ。落ちても文句は言えないし諦めもつく。

 着地点が見えなくなってきた。つまり私は不安なのだ。制限のある文章なんかじゃ私の魅力は伝わらない,だからどの御社にも門前払いをくらうのではないか,そもそも私の魅力とはなんだ,何とか絞り出した自己を理由も延べずに否定するとは何事だ,などといった具合にまだ落とされてもいない書いてもいない文章についての暗い暗い深い強いただのちっぽけな不安の渦を腹に抱えている。早いところこんな不安なんて捨ててしまいたい。

 

 日記はここで終わっていた。わたしはこの迷子の文章もまた,ダレソレに受け入れられずに捨てられたのだろうと直感した。終着駅をなくしたまま電子世界を流浪するのにせめてもの餞になれとここに記す。