思考の試行

「無限増幅のうそ地獄」

 深夜の方が何かと調子がよろしい。

 かれこれ10年ほど,主な活動は深夜に集中している。格別朝に弱いわけではないのだが(むしろ最近はあるべき人間のリズムに回帰しつつあり深夜に起きていることがしんどいときもあるが),わたしは深夜の静寂と寂寞が好きだ。

 一人でいると特にテレビをつけるわけではないので,邪魔は滅多に入らない。自分のしたいことに集中することができるし,物思いに耽るにはもってこいの時間帯である。昔は無駄に脳が冴えて思考の迷宮に入り込み,抜け出せずに寂寥感を募らせることも多かった。深夜が嫌いだった。安心して眠りたかった。今となってはその時間があったからこそ,多少なりとも他者を慮る気持ちや客観的な視点を持つことができるようになったのだと思う。

 午前三時,丑三つ時も佳境を迎える。今日の深夜もあと一時間かと考える。この深夜にやるべきだったこと,朝を迎えてすべきこと,明日の予定と次の深夜にしたいこと,脳が休まる時間はない。

 これからもこんな生活を続けたいなあと思う反面,やはり深夜は体に毒なことも理解しているので決別を所望する気持ちもある。この一年でなんとか朝に浮気したいものだ。とはいえ10年,わたしの短い人生の約半分を占める10年という年月,大体の思考と意識を共にした深夜さんである。決別だなんてとんでもない。名残惜しいのレベルじゃない。わたしは深夜に生きる自分に少々の誇りと優越すら感じている。生活リズムを正すだなんて,生活に強制されなきゃ無理だと思う。

 そんなこんなでどうして夜寝ないようになったのかいろいろ遡って考えていたら,昔のことを少し思い出した。我が家は一階の天井部が吹きぬきになっており,21時ごろに自室にて床に就こうとすると,リビングから両親がなにやら真面目に話す声が聞こえてくるのだ。ところどころに聞こえるわたしや兄弟,担任の名前やその愚痴っぽいトーン,内容まではわからないが幼さゆえの想像力をフルに発揮させ,明日起きたら鬼の形相の父が待ち構えているに違いないと恐怖したものだ。想像力をもとに聞こえぬ話を脳内補完し,なんとか叱られずに済むよう言い訳を練ったり,なんとか父と顔を合わせずに済むよう翌朝のシナリオを考えたり,実際はほとんどが杞憂に過ぎなかったのに,幼い私はなかなかに憶病で健気であったように思う。

 幼いころの記憶なんてほとんど持ち合わせていないわたしであるが,深夜の力とでもいうべきか,一つ思い出すと連鎖的にさまざまな記憶が呼び起され,それに付随する幾多の感情が何十倍もの津波となって襲いかかってくる。このままでは体どころか精神的にも毒である。わたしは思考を遮断し,時計に目を向けた。

 午前四時,深夜も眠りにつく時間。明日を憂いながら今日を終えよう。